【PANERAI avvelenamento】Vol.3 ~パネライ復活プロジェクト①~
こんにちは。
スリーク新潟の飯田です。
なんか9月に入ってあっという間に一週間。
本当、時間の過ぎる速さに最近はビックリです。
今日、9月8日は『ニューヨークの日』だそうですよ。
1664年のこの日、オランダの西インド会社の支配下にあったマンハッタン島南端のニューアムステルダムがイギリスの支配下に移った時に、ヨーク公に因んでニューヨークに改称された。
とのこと。そんなマメ知識を得たところで、今日のブログを進めたいと思います。
今回で3回目のこの連載。実はパネライって書くのが個人的には難しいんですよね。。。。
嫌いとかじゃないんです。
むしろ、というか当然というか好きなんです。
でも、なんだろう。
もっている背景やストーリーの深さや重さがあるブランドだからでしょうか?
他のブランドみたいに気軽に書けない魔物がいます・・・・なんだろう。。。。
そんなパネライですが、ご存知の方も多いかと思いますが
パネライが民生用を作り始めたのは1993年からのこと。
しかし、それはイタリアだけでの販売でした。
その後、リシュモングループに入り世界デビューしたのは1998年のこと。
今回からこの世界デビューするまでのいきさつをご紹介していきます。
パネライ復活プロジェクト
~プロジェクトを動かした7人~
1.フランコ・コローニ(Franco Coloni)
まずはこの人無くしては今のパネライはありえなかった。
その人がこちら。
フランコ・コローニ
Franco Cologni
生年月日: 1934年 (年齢 84歳)
リシュモン・シニア・エグゼクティブ・ディレクター
リシュモングループ、最高経営会議のメンバーのこの方の存在が大きいです。
時計や宝飾に関する造詣が深く、ジャーナリストでもあり教授でもあります。
書籍には大著『カルティエ 伝説の時計タンク』があります。
その他にも『メイド バイ カルティエ』、『ピアジェ 時計と驚異』、『カルティエ プラチナの芸術家』など数多くの著書があります。
などなど。。。。
凄い方なんです。
このコローニ氏の友人が、あのシルベスター・スタローンなんです。
パネライが民間向けに時計を作り始めたのが1993年。
当初から軍だけにしか供給をしていなかった時計が一般でも買えるようになったのです!
しかし、イタリアの時計店のオリジナル時計。
パネライの時計を知る人などは世界から見たら極限られた人達しかいませんでした。
その極限られた人の中にシルベスター・スタローンはいました。
彼は非常にパネライに強い関心を持ち、自身で別注時計を注文するほどのファンでした!
↑これが別注で作られた当時の限定品。
コローニ氏はシルベスター・スタローンに紹介されたパネライに徐々に関心を持っていくのです。。。
また、時期をを同じくしてイタリアにおける軍縮の煽りでパネライの経営が極端に悪化をしていたというのも経営者としての興味を持つきっかけになったのだと思われます。
そんな彼が1996年に動きました!
2.ウーゴ・パンカーニ(Ugo Pancani)
パネライに関心を持ち始めたコローニ氏は
まず最初にフィレンツェの工業専門学校教授のウーゴ・カンパーニ氏にイタリア海軍のパネライの関係を徹底的に調査してもらった。
ウーゴ・パンカーニ
Ugo Pancani
L・ダ・ヴィンチ工業専門学校教授
時計専門コースのカリキュラムを受け持つ。
時計に関する歴史的研究の第一人者。
コローニ氏は依頼した調査結果を聞いて、パネライの歴史に隠された事実を知った時に驚愕したそうです。
パンカーニ教授は言いました。
『コローニさんの依頼で私は海軍歴史記録局の文章など、あらゆる資料を調べました。パネライの歴史的背景が徐々に解明されていくにつれて、私自身、驚きを隠せませんでした。』
『パネライがイタリアのメーカーだからイタリア軍に採用されたのではなく、海軍の要求の対応できた唯一のメーカーだったからなんです。防水時計に関して言えば、当時のスイスブランドと比べても10年以上は先に進んだ技術を持っていました』
イタリア海軍の特殊部隊の数々の作戦を遂行してきた背景にはこのパネライウオッチの存在なくしてはありえなかったことだったということが
教授の調査によって明らかとなりました。
3.エミリオ・ビアンキ(Emilio Bianchi)
そして、教授の調査結果を証言する重要な人物となったのが、この方
エミリオ・ビアンキ
Emilio Bianchi
元イタリア海軍第10MAS部隊員
1932年にイタリア海軍に志願し、低速魚雷(SLC)による特殊な水中攻撃を任務とする第10MAS部隊に所属。
このビアンキ氏はアレキサンドリア湾の作戦を成功させた6人の精鋭の1人でした。
『われわれの任務は、敵艦に対する特殊な水中攻撃作戦を遂行することでした。その為、低速魚雷艇の操縦など特殊訓練を積み重ねました。
1941年12月に実行したアレキサンドリア湾における英国戦艦への攻撃作戦は、イタリア海軍の歴史上、最も大きな戦果をあげた作戦でした。
われわれはアレキサンドリア湾の海底は頭には叩き込んでいましたが、任務を遂行する夜の深海はまったくの暗闇で何一つ見えません。
われわれはパネライの時計とコンパスだけを頼りに行動したのです。もし、当時パネライの時計が開発されていなければ作戦自体、まったく実行不可能だったことは間違いありません』
水深10Mの深さ、真夜中の真っ暗闇の中、
無音の水中で静かに任務を遂行するために航行していく時
どんな胸中で作戦に挑んで行ったのか?
いつもイタリア海軍の特殊部隊のことを書くと
その時の彼らの気持ちや心境を考えずにはいられないんです。
そして、勝手に何とも言えない変な気分になるのです・・・(*_*)
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今日のパネライ
さて、本文の続きはまた来週ということで
本日のパネライをご紹介しようと思います!
前回の1回目から既に気が付いている人がいるかもしれませんが、ここではメジャーなモデルは紹介しません!
マイナーというか、ごく限られた人には熱烈に欲され、認められ、歓迎されるのですが
一般受けはどうか?というとナゾが残る、そんな1本です。
ルミノール 1950 レガッタ 3デイズ クロノ フライバック オートマティック チタニオ
PAM00526
47㎜
100M防水
↑こんな感じ。
パネライは復活した直後からヨットレースをスポンサードしたりレガッタモデルを出したりしてきました。
理由としてはパネライが誕生した背景には海との繋がりがあり
当時は海軍の為であったが、現代において海との繋がりを持つ男の時計は?と問うた時に
出てきた答えがヨットの世界だったのだと思います。
個人的にはそこに面白さを感じます。
海と言ってもレジャーでのスキューバ―ダイビング用や職業潜水士を想定した飽和潜水用の防水時計ではなく
ヨットレースの為の時計。。。。
海をフィールドに戦う人達の時計でありたい、そんなことを願ったのかな?などと想像します。
そんなことを考えると
パネライはシンプルな時計というイメージを持って
シンプルな文字盤の時計を捜してくる方も多いのですが
個人的にはこのレガッタモデルもおススメしたくなってくるのです。。。。。
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PANERAI avvelenamento Vol.1 ~パネライの歴史①~
PANERAI avvelenamento Vol.2 ~パネライの歴史②~
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