HAMILTON STORY~ハミルトンの歴史~
こんにちは
スリーク新潟の飯田です。
今回はハミルトンというブランドについて、ご案内をしようと思います。
ハミルトンは比較的買いやすい値段で商品展開を行っている為、意外と深くまで知らずに手にしている人も多いのではないでしょうか。
ハミルトン、意外と面白いブランドですので、ぜひご覧になってみてください。
【鉄道とハミルトン】
ハミルトンというブランドは現在のスイス時計の中でも特異な経歴を持っている。
ご存知の方も多いと思うがアメリカ発祥のブランドである。
創業は1892年、最初に生産された懐中時計『ブロードウェイ・リミテッド』が鉄道時計として採用され、その正確性が評価を高めた。
《ブロードウェイ・リミテッド》
そもそもハミルトンに限らず、時計が発展してきた歴史的背景には正確な時間を求めた鉄道と戦争での需要があったからだ。
アメリカでは1830年代に蒸気機関車が運行を始めた。
蒸気機関車の登場は広大なアメリカ大陸を結ぶ輸送網として急速に発展していき1900年前後までの数十年でいっきに拡大したのである。
《1800年代アメリカ鉄道》
しかし、想像してもらいたい。当時の時計はもちろん機械式時計しか存在しない。
温度や姿勢、ちょっとした衝撃でも容易に誤差がでるのが機械式である。
しかも現代ほど工作機械が発達していない時代、1つ1つの部品を製作、組み立て、調整するのに時計職人の腕が時計の精度に大きな影響を及ぼすというのは容易に想像ができるだろう。そんな時代の時計を手に機関車の運転士が運行をしていたわけだ。
お互いの持つ時計の誤差が原因で鉄道事故に繋がることもある。
急速に路線が増えていき鉄道事故も多発していく中で必然的に正確な時計が求められていったのだ。
そのような背景の元で公式採用されたのがハミルトンだった。
【軍との関係】
1910年にはアメリカ陸軍への納入が始まり、やがて軍の標準支給品となった。
第一次世界大戦時にはハミルトン初の腕時計『カーキ』が開発、それらを通じてアメリカでの知名度を広げることとなった。
その後、飛行機の発展と共に航空分野が広がっていく中で1918年には航空時計にも着手。
米国初の定期航空便の公式時計となった。
1930年には民間の航空会社が設立され、そこでもハミルトンの時計が採用されるようになった。
大きな契機となったのが第二次世界大戦。
1939年に始まった大戦において米国軍のサプライヤーとなり1942年にはアメリカ政府の要請で一般時計の生産を中止し、
1945年までの間で100万個以上の時計を米国軍に納入した。
《当時のハックウオッチ》
この時代に生まれたのが秒針停止機構がついた『ハックウオッチ』である。
現在の時計の多くはリューズを引き出すと秒針が停止する。
この秒針が停止する機能を『ハック機能』というが、元々はアメリカ兵士達がお互いの時刻を一斉に合わせる時の掛け声が『ハック』だったのである。
それがそのまま機能の名称とされるようになった。
この頃の時計をルーツにしているのが現在のカーキシリーズである。
【ジャズマスターとは】
ハミルトンの現在のもう1つの顔となるコレクションがジャズマスターである。
ジャズはアメリカで誕生した音楽である。
ハミルトンの創業とほぼ同じ1890年代ニューオリンズが発祥の地とされており、起源には諸説あるが、
ジャズはアメリカを舞台としてヨーロッパ音楽とアフリカ音楽が融合することで生まれた音楽だ。
当時アフリカから連れてこられた奴隷やその子孫たちの鬱憤や怒りや苦悩を消化させてくれるのが音楽であった。
その中から生まれてきたのがジャズであり、ジャズにはスピリチュアルや、ブルース、ラグタムなど様々な要素が含まれている。
1930年代には、カリプソ、ラグタイム、ブルースなどをミックスした、この奔放でクリエイティビティにあふれる音楽が、
アトランティック両岸のダンスホールで革命とも言うべきムーブメントを巻き起こし、アメリカ全土へと広がっていった。
《モダン・ジャズの帝王 マイルス・デイヴィス》
これと歩を重ねるように、ハミルトンもまた、斬新な機構やデザインを備えた画期的な時計を次々と開発し、アメリカでの地位を確立していったのである。
両者には、型にとらわれない発想を生み出す、真のアメリカン・スピリッツが脈々と息づいている。
そんなジャズへのオマージュとして誕生した『ジャズマスター』コレクションは、1960年代の時計が原型となっており、
ジャズが奏でるハーモニーのように様々なエッセンスを含んだモデルである。
デザインはクラシカルでありながらも現代性も含み、エレガントかつ革新性も兼ね備えている。
洗練された大人の雰囲気を持つ多彩なバリエーションを持つモデルである。
《現在の一番人気ジャズマスターオープンハート》
H32705141 / 42mm
¥119,000+tax
【インダストリアルデザインの鬼才】
ハミルトンはウオッチメイキングの歴史の中で数々の名作を誕生させてきた。
その中でも一番の知名度と人気を上げたのが『ベンチュラ』ではないだろうか。
ベンチュラが誕生したのは1957年。世界初の電池式腕時計であった。
《1957年当時の広告》
ゼンマイに代わって、小さなシャツボタンほどの電池を動力とし、
電気と磁力の力でテンプを動かすというこのムーブメントは、時計の精度をそれまでの機械式と比べて飛躍的に向上させることとなった。
時計史上に大革命をもたらした製品として、50年代近くスミソニアン博物館で紹介されている。
また、この『ベンチュラ』はいかに革新的なデザインだったか想像してもらいたい。
ベンチュラが誕生した1957年というのはオメガのシーマスター300やスピードマスターなどが誕生した年である。
ブライトリングのスーパーオーシャンも誕生したのがこの年だ。
これらの時計が誕生した同じ年、今現在見てみても先鋭的でクリエイティブなデザインのベンチュラが誕生したというのは驚きだ。
デザインを手がけたのはキャデラックのデザイナーで「インダストリアルデザインの鬼才」と称されたリチャード・アービブ。
常識とかけ離れた左右非対称のフォルムは、保守的なデザインが主流であった時計業界に波紋を投げかけ、
デザイン・ウォッチの先駆けとして後生に大きな影響を及ぼした。
《リチャード・アービブが手掛けたキャデラック》
この時計は一過性に終わらず現在もなお、ハミルトンのアイコン的なモデルとして作りつづけられているが、
その地位を決定づけたのはやはりエルヴィス・プレスリーが愛用したという物語が大きいのではないだろうか。
エルヴィスはミュージシャンであり映画俳優。
ロックの誕生と普及に貢献した創始者のひとり。
《エルヴィス・プレスリー》
『キング・オブ・ロックンロール』と呼ばれた王様である。
『ラブミー テンダー』は聴いたことある人も多いのではないだろうか?
《ラブミーテンダー》
このエルヴィス・プレスリーが1961年の映画『ブルー・ハワイ』で着用する時計として選んだのがベンチュラであり、
その後もプライベートで愛用したそうだ。
プライベートでは自分でブレスレットを付け替えて蛇腹ベルトにしていた。
そんなエルヴィスが使用していた私物のベンチュラは現在、スイスのハミルトン本社が所有している。
《ブルーハワイ撮影時》
《エルヴィスが使用していたベンチュラ》
【ハリウッドとハミルトン】
ハミルトンというブランドを語る上でもう1つ欠かせないのがハリウッド映画との関係である。
ハミルトンが初めてハリウッド映画に登場したのが1932年のマレーネ・ディートリッヒ主演の映画『上海特急』であった。
1951年には第二次世界大戦中のアメリカ海軍潜水士を描いた『フロッグメン』に登場、大ヒット映画となった。
《インターステラーで着用され重要な役割を担った時計を市販品として発売されたマーフオート》
さらに10年後には前述したようにエルヴィスによって『ブルー・ハワイ』で着用されたり、
その後も『メン・イン・ブラック』、『インディペンデンス・デイ』、『ダイ・ハード』、『インターステラー』、『オデッセイ』などといった数々のヒット作を含む500本以上の映画に登場してきている。
2006年からは映画製作の舞台裏を支える監督や脚本家、道具係などのクリエーターを表彰する『ハミルトン・ビハインド・ザ・カメラ・アワード』を開催している。
《ハミルトン・ビハインド・ザ・カメラ・アワード》
プレゼンテーターは裏方の人達の情熱と苦労と努力を知っているA級のハリウッド俳優から選ばれる。
今後もハミルトンとハリウッドとの繋がりは強固なものとして続き、スクリーンの中に度々登場してくるはずだ。
パルサー登場
ハミルトンの歴史を語る上で欠かせないことの1つに1970年に発表された『パルサー』がある
世界初のLEDを用いたデジタルウオッチの登場だ。
《パルサー》
針や文字盤のないその時計は一大旋風を巻き起こした。
その斬新な時計はアメリカの電子機器メーカーも時計産業に参入するきっかけとなったし、
オメガなどスイスの老舗ブランドも模倣するほどの革命的な時計であった。
アメリカの時計産業が一躍世界に返り咲くきっかけになったのである。
ちょうど現代でのアップルウオッチのような衝撃があったのではなかろうか。
アップルウオッチを筆頭に各社からスマートウオッチが発売されたような、そんな流れが当時はあったのだろう。
よほどのインパクトのあったパルサーではあるが
現在のアップルウオッチとの違いを言えば、高価だったということだ。
発売当初は金無垢のロレックスよりも150ドル高い2100ドルだったそうだ。
1969年に人類初の月面着陸が成功し、パルサーが発売された当時というのは
宇宙開発に熱が帯びていた時代。
多くの人々が近未来を感じさせてくれるこのデジタルウオッチに魅了されていったのは想像に難くない。
発売当初はティファニーなど高級店のみでの取り扱いだったにも関わらず即完売したということだ。
その後、オリジナルの金無垢とは別に金メッキモデル、SSモデルをを発売。
SSモデルは275ドルだったそうだ。
パルサーの巻き起こした旋風はやがて半導体メーカーがデジタル時計事業に参入するきっかけとなった。
一説には1974年前後には80社以上が何かしらのデジタル時計の販売をするようになっていたという。
しかしながら競争が激化していく中で10ドル以下のLEDウオッチ、最後には3ドル以下のものまで市場に出回ってくるようになった。
さらにLEDから消費トレンドがLCDに移り変わって行き1977年にはLEDウオッチのブームは終わってしまったのである。
そのような背景の元、ハミルトンもまたパルサー製造を中止すると商標さえも売却してしまったのである。
しかし、歴史をかえりみた時、このパルサーが巻き起こした一大ブームは大きな足跡であったし、
そして今も残る『デジタル腕時計』というカテゴリーを作り上げるのに大きな役割を担ったのは間違いのない名作であった。
そして今日、ハミルトンは「パルサー」誕生50周年を迎える2020年の目玉として「PSR DIGITAL QUARTZ」を発表。1973年に発表された「パルサーP2」をベースにデザインされた。サイズも当時と同じ40.8mm x 34.7mmを採用。
《1973年に発表された「パルサー P2」当時のアメリカ合衆国大統領も愛用していた》
2020年最新作の「PSR」は、当時のアイコニックなクッション型ケースを忠実に守りながら、風防はルビーからサファイアクリスタルにアップデート。そして時刻表示部分は、液晶ディスプレイと有機ELとの組み合わせになっており、液晶ディスプレイによって常時点灯し、ケースの右側にあるボタンを押すと有機ELを組み合わせた赤い7セグメントLEDが発光する。さらにバックライトを省き、エネルギー消費量を抑えている。「P2」はフェイスの右下のロゴは「Pulsar」であったが、今回はレトロな書体で「HAMILTON」と刻まれている。誕生から「パルサー」が秘めているレトロフューチャーは健在である。
《2020年発表 新作「PSR DIGITAL QUARTZ」》
H52414130 / 40.8mm x 34.7mm
¥90,000+tax
さらに、世界限定1970本のイエローゴールドPVDモデルも登場。
《2020年発表 新作「PSR DIGITAL QUARTZ」世界限定1970本》
H52424130 / 40.8 x 34.7 mm
¥120,000+tax 限定BOX付
こちらも「P2」がベースとなるが、1972年発売の「パルサー P1」を思い起こすレトロ感の強いイエローゴールドが特徴。「P1」といえば、18Kイエローゴールドで当時世界で400本しか生産されず、そのうちの1本は先述の”キング・オブ・ロックンロール”と称されるエルヴィス・プレスリーの手に渡ったという。エルヴィス・プレスリーは「ベンチュラ」のイメージが強いが、「パルサー」の愛用者でもあった。
《裏蓋には”LIMITED EDITION”の刻印と、シリアルナンバー入り》
今お勧めのモデル2選!
クロノマチック50
クロノマチック50
REF:H51616731
48.5mm
331,100円(税込)
世界限定1972本
ハミルトンは歴史の中で様々な偉業を残してきた。
その中の1つに1969年に世界初の自動巻きクロノグラフムーブメント『キャリバー11』の開発に携わったことが上げられる。
この開発はホイヤー・レオニダス(現タグ・ホイヤー)、ブライトリングなどと共同で行われた。
自動巻きの時計が世に登場してから30年近く自動巻きのクロノグラフが開発されなかった背景にはムーブメントが厚くなってしまうという問題があった。
その問題を解決するのに採用されたのがマイクロ・ローター式自動巻機構である。
《キャリバー11の展開図》
自動巻きクロノグラフを開発するにあたり、クロノグラフの老舗メーカーであるホイヤー、ブライトリングらから当時マイクロ・ローターの特許を持つビューレン社を吸収していたハミルトンに白羽の矢が立ったのである。
こうして1969年3月に時計史に名を残す『キャリバー11』が発表されることとなった。
このキャリバー11の誕生50周年を記念して作られた限定モデルがこの『クロノマチック50』である。
限定数1972本というのはこのモデルが1972年に発売された『クロノマチックE』という伝説の人気モデルのデザインを採用したからである。
《オリジナルの1972年発売クロノマチックE》
クロノマチック50の特徴的な配色とデザインは1960年代後半から70年代初頭にかけて世界的に流行したサイケデリックファッションの影響がある。
サイケデリックとは『《ダナ》幻覚剤によってもたらされる幻覚を想起させるさま。
派手な色や音楽などに対して言う』ということを指している。
サイケは1966年ごろにヒッピーを中心としてアメリカ西海岸に始まり、1967年にムーブメントのピークを迎えた。
そして1970年代半ばには衰退期に入った。
しかし、このムーブメントはとても大きくハミルトンだけではなく時計業界にも広く影響を及ぼしたのだ。
《70年代の時計。上段はブライトリング、下段はホイヤーの時計たち》
60年代後半から70年代の時計というのはどこのブランドの時計を見てもカラフルで面白いデザインの物が多かった。
あらゆる年代のヴィンテージ時計の中でも70年代のサイケ時計はレトロで異彩を放ち、魅力溢れる名作が多い。
そんな時代に生まれた時計の復刻限定モデルである。
ただし、デザインはヴィンテージでも搭載する機械は最新のH-31自動巻きクロノグラフムーブメントである。
パワーリザーブは60時間あり、一般的な時計よりも約12時間も長く駆動する。
カーキ パイロット Schott NYC
カーキ パイロット Schott NYC
H64735561
46mm
152,900円(税込)
世界限定1892本
Schott NYCは1913年アメリカのニューヨークでアーヴィン・ショットとジョン・ショットのショット兄弟によってレインコート屋として創業されたアメリカブランドである。
第二次世界大戦時には軍用のピーコートやA-2フライトジャケットなどを製造し供給するようになる。
一方ハミルトンも第二次大戦時には高性能な時計をアメリカ軍に供給していた。
両者はアメリカンスピリットを宿すブランドであり、1940年代のミリタリースタイルを象徴するブランドとなったのだ。
そのSchott NYCとハミルトンのコラボモデルであるこのモデルはSchott NYCがこのモデルの為だけに特別にセレクトしたレザーストラップを採用している。
汚れに強く、耐久性に優れたトップグレインのステアハイドレザーに、アニリン仕上げを施し、
連邦規格のミリタリーカラー30099アースブラウンを使用。
このカラーは第二次大戦から今もなおフライトジャケットに使用されているものと同じ色味となっている。
最初は硬くて張りのあるこのストラップはレザージャケットのように身に着けていくことで徐々に馴染んでいき、
経年による質感や風合いの変化を楽しむことが出来る。
人生の苦楽を共に刻んでいく時計に、レザーストラップの経年変化がその歴史をさらに味わい深いものとしてくれる。
限定1892本の本数はハミルトンの創業が1892年であり、Schitt NYCの創業者であるアーヴィン・ショットが生まれた年にちなんだもの。
この特別仕様の時計に搭載される機械はパワーリザーブ80時間を誇る自動巻きのH-30である。
46mmの大型ケースにミリタリーテイストのカーキグリーン文字盤、パイロットウオッチには欠かせない高い視認性を備えたインデックスと針が特徴であり、ハミルトンとSchott NYCが共通して持つアメリカンスピリットを体現したモデルとなっている。
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