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ジラール・ペルゴ( GIRARD-PERREGAUX )とラ・ショー=ド=フォン( La Chaux-de-Fonds)の歴史

2024.06.18

スリーク新潟

ジラール・ペルゴ(Girard-PerregauxGP)と ラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)の歴史について、お伝えしたいと思います。少々長くなりますがどうぞお付き合いくださいませ。

 

まず最初に ラ・ショー=ド=フォンについてお話ししたいと思います。

中央 = Girard-Perregaux 本社。HH(オート・オルロジョリー)が作られる聖地。

 

ラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)は、スイスのヌーシャテル州にあります。フランス語圏ではジュネーヴ、ローザンヌに次いで第3の人口を有する都市です。標高は約1000mと、隣町ル・ロックル(約900m)よりも高い街です。ラ・ショー=ド=フォンは時計産業を中心として作られたことでユネスコの世界遺産に登録されています。時計産業が必要とする光を取り入れるため街全体を設計しています。

 

このラ・ショー=ド=フォンに一番最初に建物ができたのは16世紀くらいといわれています。その後3回、大きな火災がありまして三回目は1794年に街が全焼してしまいました。ですので、18世紀以前のものというのが一切ありません。街自体が全焼してしまったため、新たに碁盤目状の整然とした都市計画が進んでいきました。

 

時計産業が必要とする光を取り入れるために、街全体を設計しました。自然光を時計師が受けることができるように、全て建物は同じ方向を向いています。大きなメインストリートがありますが、この通りは全て西から東へとあります。それに対して建物の前に小さな庭を設け、距離感を持たせながら同じ高さの建物が全て並んでいます。つまり太陽の光が一日中、恩恵を受けられるようになっているのです。

 

12月21日の冬至の日は、一年の中で一番日照時間が短いのですが、お昼ぐらいになると前の建物の屋根に陽が当たり、どこの家でも陽が入ってくる計算がなされています。時計師にとって、この手先のもが見えるというのは非常に大切なことです。特に昔は蝋燭しかありませんでした。ですのでこの陽の光によってはっきりと細かいビスが見えるということが必須条件でした。

Villa Girard-Perregaux  (Rue du Progres 129,2300  プログレ通り)

 

19世紀までは産業という名前はありませんでした。ラ・ショー=ド=フォンだけで小さなアトリエ工房(一軒の家にある工房)は3000ほどありました。これが専門化していて各自が作るビスを集めて時計作りに励んでいったとされています。それが実際に工場になってきたのは19世紀の終わりくらいとなります。

20世紀の初め、1908年にこの建物(Villa Girard-Perregaux)ができました。19世紀の終わりからだんだんと大きな工場が出来るようになり、世界中で売られている時計の半分がこのラ・ショー=ド=フォンで作られるようになりました。これによって街が豊かになっていきました。

Villa Girard-Perregaux も元々は工場主の邸宅でした。工場主がここに住んでも工場が目の届くところにないといけないという時期でもありましたので、このすぐ後ろが持っていた工場になります。

 

次は、ブリッジについてお伝えします。

1857年 18K ポケットウォッチ

 

ムーブメントの中にあるブリッジというのは、その中にある歯車を抑え込んできちっと固定させるというのが目的です。もともとブリッジというのは、固定させる役割しかなかったものの、コンスタン・ジラールが新しい考えを持ちました。それはムーブメント自身を一目でわかるものにするべきだ、という考えです。時計の文字盤側は見てすぐわかる時計というのはありますが、ムーブメント側を見てすぐわかる時計というのは良いのではないかと。なのでGPのムーブメントというのは、まず美しいものに仕上げてそれに機能がつくという考えになりました。通常のムーブメントは機能のために部品がつくわけですが、スリーブリッジが並行してセッティングされており、それに合わせてメカニズムが設計されています。これが凄いところです。

初めてのスリー ブリッジ トゥールビヨン

 

一番最初のモデルは1860年代に作られました。当時として非常に完成度が高く、ゴールドを使いブリッジの形状もあまりにも独創的でしたので、コンスタン・ジラールが特許を申請しました。1884年に取得されていますが、当時スイスには特許許可局は存在せず、アメリカで取得しています。

1000個以上の天然パールがイエローゴールド製ケースに散りばめられたポケットウォッチ

 

18世紀以降の ジャン-フランソワ ボット の時代は受注生産でした。当時のお店にはショーケースがなく、オフィスの裏にアトリエがあり、そこで「こういったのが出来ます」と説明をしてそれでお客様が選ぶというものでした。現代では時計を選ぶとなると文字盤などを見てお買い求めされますが、当時というと装飾が一番大切でした。ですので上の写真の懐中時計は、外装にパールがいっぱい付いているのが欲しいとオーダーされたわけです。しかし当時は養殖真珠というものはなく(日本人が発明するまで存在しなかったとされています)天然真珠という小さなものしか付けれませんでした。その天然真珠は紅海(レッドシー)などで小さな真珠が取れますが、それを何千個と集めてそれに合わせてデザインを代用してから物作りをする・・・ですのでこの頃は発注をしてから何年も待たなくてはいけませんでした。

エナメル装飾されたウォッチ

十字型のペンダントウォッチ 

彫金が施されたポケットウォッチ

細部まで彫金・装飾をされたポケットウォッチ

 

フランソワ・ペルゴ が日本に訪れた時代は幕末でしたので、時計が売れる時代ではありませんでした。昔からそうですが、日本の方々は時計というと銀の時計を好まれていたので日本に合わせて銀の時計を作っていたとされています。一方、南米は金が好きなので煌びやかな時計を好まれていました。

1966年 ジャイロマティック 

高振動自動巻きムーブメント

 

1966年には、36000ハイビート(5Hz)の時計が作られました。現代時計の一番礎石となるものです。この頃というのは、時計としてデザイン性<高精度を考えていた時代でした。(この開発の重要性が認められ、ヌーシャテル天文台100周年記念を授与されました。現在の 1966 コレクション は、ジラール・ペルゴの歴史に残るこの画期的な出来事を記念したものです。)

1971年 クォーツ時計

 

そして精度を追い込み続けているときにクォーツが出ました。一番最初のクォーツモデルです。GPが周波数32,768Hzというのを最初に開発しました。

1975年 ロレアート

 

当時は最新の高精度ムーブメント”クォーツ”を搭載し薄型ケースに収めることが非常にエレガントと思われた時代でした。

1976年 キャスケット

革新的なLEDを搭載した時計

 

1970年代には産業デザインという言葉がありました。美しい物であって機能がないといけない。そうして段々と立体的(3D)な造形になっていきました。機能と時計全体を見る時代へと移り変わっていきました。

1981年 スリー・ゴールド ブリッジ トゥールビヨン 20個限定復刻版

 

当時クォーツ時計があった訳ですが、スイス人時計師たちは「本当のスイス時計というのは、やはり美しいものを時間をかけて作るというのが本当の価値ではないか(美しい装飾のあるもの)」と考えるようになりました。それが1980年代です。

創業200年にあたる1991年、懐中時計だったスリー・ゴールド・ブリッジ トゥールビヨンを全て小型化し手首に着用できる腕時計を開発

 

19世紀にあった素晴らしいノウハウ、懐中時計にあったものを、腕時計にしていくという大きなミッションです。懐中時計のような大きいものを、腕時計用サイズに小さくし、懐中時計にあった美しい装飾を腕時計に表現する。そして、より精度の高いもの、より美しいものを追求しなくてはいけないと考えた中で、革新的な開発をジラール・ペルゴを進めていくことで生まれたのが、上の写真にありますように、スリー・ゴールド・ブリッジ トゥールビヨン を全て小型化し手首に着用可能にした腕時計や、下にあります GP エスケープメントです。新しい素材(シリコン性)を使い、新しい感覚での調速機構を、、と新しい試みが入ってきています。

2013年  コンスタント エスケープメント

 

2008年、ジラール・ペルゴがコンスタント エスケープメントの最初の試作品を発表しました。これは決められた量だけが曲がるブレードを使用し、エネルギーのパルスがこのブレードに伝わるようになっています。スイス時計でお決まりだったレバー脱進機とは異なり、このブレードからのエネルギーは直接テンプに伝わります。このムーブメントの利点は、ゼンマイがほどけた時も同じエネルギーが脱進機に伝わることです。それにより優れた歩度の安定性が得られます。この革新的で卓越した技巧は、2013年ジュネーブ時計グランプリ(GPHG)で金の針を受賞しました。

TOURBILLON WITH THREE FLYING BRIDGES

 

2014年、ジラール・ペルゴは微小なスケールでボリュームと立体感を追求しました。こうして時計業界で最も古い個性的モデルにスケルトン加工を施した ネオ トゥールビヨン スリー・ブリッジが誕生します。伝統と現代性との架け橋として、革新的な技術は歩みをとめることなく現在も進化し続けています。

 

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