BREITLINGを学ぶ vol.2 –名門ブランドの始まり–
2018.08.27
スリーク新潟
BREITLINGファンの皆さんも、そうでない皆さんもこんにちは!
スリーク新潟 伊藤です!
第2回目となりました。 【 BREITLINGを学ぶ 】
ブライトリングビギナーである伊藤がブライトリングについて勉強した内容をしたためるこのブログ。
第1回目も合わせてご覧いただけると嬉しいです 😀
今回は BREITLINGというブランドの歴史 について色々調べてみました。
キーワードは 1884・クロノグラフ・飛行機 です。
それでは、BRITELING物語 のはじまり、はじまり。
※物語の一部は伊藤の妄想でできています・・・。
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1860年、スイスの小さな村に一人の男の子が誕生します。
名前はレオン・ブライトリング。
彼の両親はドイツから職を求めて、スイスの渓谷にあるサン=ティミエという村へやってきたのです。
サン=ティミエはジュラ地方の渓谷にあり、農業や放牧を主な産業にしていました。
農業、放牧が出来ない長い冬の時期、サン=ティミエの人々は
時計の組み立てを貴重な収入源にしていたそうです。
そのような環境ですくすくと成長したレオン少年は、
必然だったのでしょうか、自分の進む道として時計師の道を選びます。
時計学校に通い、やがて24歳で時計師としての見習い期間を終えた彼は、
生まれ育ったサン=ティミエの地に、小さな時計工房 G・レオン・ブライトリングを開きました。
その年に息子も生まれています。
この年こそが、1884年ブライトリングの始まりの年です。
当時はまだ懐中時計が主流でしたが、時計学校に通っていた時からレオン青年は、
複雑なもの、特に時間経過の計測ができる時計に強い興味と情熱を持っていたそうです。
手先が器用で時計師として十分な素質を持ち、複雑時計に情熱を持っていた彼は、時代の先を見越してか
当時としてはまだ珍しいストップウォッチ付きの時計、すなわちクロノグラフ付きの時計を中心に制作します。
(↑レオンさんの頃に作られたクロノグラフ付きの懐中時計。
現代のストップウォッチはデジタルですが、ボタン?の位置が似ていますね。)
彼の情熱が注がれ、作られた時計は、様々な博覧会や見本市で多くの賞やメダルを獲得しました。
この時点で工房を開いて数年ということですから、レオンの先見の明と技術的な才能は、
間違いなく素晴らしかったのでしょう。
1892年、創業からわずか8年後、サン=ティミエの工房が手狭になったので
ニューテシャル地方にある時計産業の中心地、ラ・ショード・フォンへと工房を移転することを決断しました。
新しい工房を建てたのは、街を見下ろす丘の中腹にあるモンブリラン通り。
この時、社名をレオン・G・ブライトリングS.A.モンブリラン・ウォッチ・ファクトリーに変更します。
以後、ブライトリングは創業家が経営権を譲渡するまで、
このモンブリラン通りの工房から、いくつもの名作を世に送り出したそうです。
時を同じくして、この頃、人々の関心は空へと向かっていました。
1891年にはドイツ人のオットー・リリエンタールが自作グライダーで50mを飛行。
1903年にはライト兄弟が人類初、動力飛行により36.5mの飛行を達成。
と、急速に航空技術が発展しています。
やがて、好奇心の強いレオンも
当時の最先端技術である飛行機に強い関心を抱くようになりました。
自らがパイロットになりたいと思うほど夢中になった飛行機に関わる道として、
パイロット用の懐中クロノグラフを製作し始めたのです。
時計師 レオン・ブライトリング
(↑ブライトリングの創始者は口髭が立派なこちらの紳士。
この方がいたから、現在のBREITLINGがあるのですね〜。)
そんな中、モンブリラン通りに工房を移してから22年後の1914年
レオン・ブライトリングは54歳という若さでこの世を去ります。
一代でここまで会社を大きくしたレオンが亡くなってしまい、
ここからブライトリング社はどうなっていくのでしょうか。。。。。
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今回はここまでです!
いや〜、調べれば調べるほどレオンさんはすごいです。。。
きっと、今よりも情報の伝達だとか、物通だとかが発達していない時代に
複雑な時計を作って一代で成功を収めるって並大抵の努力じゃできなかったでしょうね。
何度も失敗したり、創意工夫をしながら時計を作っていたんだろうな〜。。。
時計を作るのが楽しくて仕方なかったんだろうなー。。。
と、当時のレオンさんを思い浮かべると元職人である伊藤は胸熱でございます。
初代のレオンさんの時代から、ブライトリングがこんなに飛行機を強く意識して
時計づくりをしていたとは、恥ずかしながら知りませんでした。。。
私の勝手な妄想なのですが、レオンさんは本当に飛行機が大好きで、商売のためというよりは、
純粋な気持ちで飛行機のための時計に向き合っていたんじゃないかと思います。
もちろん飛行機が今後大きな産業になることを、その鋭い感性で感じ取っていたのでしょうけれど。
そんなレオンさんの思いはつゆ知らず、
ブライトリングは飛行機と関連の強いブランドなんですよ〜、とルーツも知らないのに
したり顔で話していた過去の自分の頭をスリッパでスパーーンと叩いてやりたい気持ちです。
時計学校に通っている頃から、時間計測のための時計に興味を持っていた彼が
数十年後にその機能を必要とする飛行機が発展する時代を迎えられたのは、
結構奇跡的だったのではないでしょうか。
こうして調べてみて、BREITLINGの時計作りの根っこのところが
ちょっとだけ見えてきたような気がしました。非常に奥深いです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
また次回宜しくお願いします!
ー To Be Continued ー
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