スリークはウブロ、カルティエ、タグホイヤー、ブライトリング、パネライ、オメガ、グランドセイコーをはじめとした高級時計やメガネなどの正規販売店です。

BREITLINGを学ぶ vol.5 –ナビタイマー 誕生–

2018.09.24

スリーク新潟

 

BREITLINGファンの皆さんも、そうでない皆さんもこんにちは!

秋の深まりとともに顔が丸くなってきた気がするスリーク新潟 伊藤です。

 

前回の【 BREITLINGを学ぶvol.4   】では、3代目ウィリーさんの時代が始まり、

1942年の初代クロノマットの誕生までを書きました。

 

その後もウィリーさんの時代には数多くの個性豊かなモデルが生まれ続けますが、

今回はブライトリングを語る上でなくてはならない、あのモデルの誕生について書いて参ります。

 

_____________________________________________

 

1932年から始まったウィリーの時代、第2次世界大戦は挟んだものの

この期間こそがブライトリングにとって最も発展した時代でした。

それはやはり、ウィリーにも先代達と同じように時代の流れを読み、適応する力があったからでしょう。

 

1947年アメリカ空軍パイロットが操縦するロケット機が史上初の有人超音速飛行に成功しました。

その4年半後、1952年イギリスの航空会社が初めてロンドンからヨハネスブルク間を飛び、

ジェット旅客機として世界で初めての営業運行を開始しています。

 

日本では1951年に「日本航空株式会社(JAL)」設立と、世界的に高速旅客機によって

モノもヒトも大量に輸送できる時代へと入ったのです。

 

Air_France_De_Havilland_DH.106_Comet_1A_(F-BGNX)_at_Hatfield

 

1942年にクロノマットを開発し、航空クロノグラフというジャンルを生み出していたブライトリングは、

第2時世界大戦を経て新たなステップへと踏み出した航空界に向け、1952年 ナビタイマーを発表しました。

NAVITIMERとは航空、航海を意味するNavigationと時計を意味するTimerを組み合わせた言葉です。

 

IMG_1311

 

航空機のパイロットは、飛行する前に航行に必要な各種の計算を行い、

フライトプラン(飛行計画書)を作成することが義務付けられています。

この計算を行うのに必要とされていた道具がフライトコンピューターと呼ばれるものだったのですが、

コンピューターと名前がついているものの、電子計算機のようなものではなく、手動式の計算尺でした。

 

IMG_1303

(↑フライトコンピューターを使うと両手がふさがってしまいますね。)

 

このフライトコンピューターを腕時計に組み込んだのがナビタイマーです。

ナビタイマーの誕生によってパイロットは大型の航法計算盤を取り出すことなく、

フライト中であってもフライトプランにまつわる計算が手軽に行えるようになったのでした。

 

高度な機能性と絶妙のネーミングを持つナビタイマー世界中のパイロットに受け入れられ、

その証としてA.O.P.A(飛行機オーナーパイロット協会)の公認時計に選ばれました。

初期のナビタイマーの文字盤にはA.O.P.Aのシンボルであるウィングマークが記されています。

 

IMG_1311

 

_____________________________________________

 

 

っはい!出てきましたー、ナビタイマー

このモデルを避けてブライトリングを語るのは不可能でしょう。

クロノマットとともにブライトリングの双璧を成しているのがナビタイマーですね。

 

ここで初代クロノマットもナビタイマーと似ていたけど、どう違うのだ?

という疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれませんが、

またどこかの機会で初代クロノマットとナビタイマーの違いなどにも触れたいと思います!

 

毎回ブログを書いていると、もっと深掘りしたいなーと思うところが多々あるのですが、

長くなりすぎて読者の皆様の眠りを誘ってしまってはいけませんので、いつの日か、いつの日か必ず…!😭

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

また次回も斜め読みして頂けたら嬉しいです!

 

最近朝晩冷え込むことが増えて来ましたので、

皆様体調崩されないようご自愛くださいませ😷

 

 

 

お問い合わせ

スリーク新潟

TEL:025-210-2511
MAIL:info@threec.jp

取扱店舗

スリーク新潟