スリークはウブロ、カルティエ、タグホイヤー、ブライトリング、パネライ、オメガ、グランドセイコーをはじめとした高級時計やメガネなどの正規販売店です。

HAMILTON WATCH ~歴史編~

2018.11.01

スリーク新潟

こんにちは、THREEC新潟 津沢です、日に日に寒くなり冬も近づいてきました。

 

今日は、HAMILTONの歴史について書こうと思います。

 

皆さんも、少しは知っていると思いますが、お付き合い下さい。

 

HAMILTONの創業地は、アメリカです(そんな事知ってるよ)

 

そうアメリカなんですが、創業当時はHAMILTONという社名では、なかったんです。

創業時の社名が、アダムス&ペリー時計製造会社という社名で、ペンシルバニア州

ランカスターで創業されました。

HAMILTONという社名は、後からつけた社名で由来は、ペンシルベニア植民地総監督の

ジェイムズ・ハミルトン氏にちなんで付けられました。

about_lancaster_factory

 

HAMILTONがアメリカでいかに貢献したか、大きく成長できたか

語っていきたいと思います。

1830年代、アメリカは本格的な鉄道開発が進み、アメリカ全土に線路が敷き詰められ

東と西を結ぶ大陸横断列車が全面開通したのが1869年、これを、期に支線が枝分かれし

アメリカ全土に、人、情報、文化、物、いろいろなものが運ばれるようになりました。

当然事故も多く発生するようになり、1891年にアメリカの時計史、鉄道史に大きく残る

事故が起こります。

 

company_menu2

1891年にオハイオ州キプトンで起きた、鉄道事故 機関車同士の正面衝突で死者11名

を出す大惨事が起きます。

事故の原因は、機関士、車掌の確認不足、精度の悪い時計、色々な要因が絡み合い

起こるべくして起こった事故でした、これを期に、クリーブランドの時計商

ウェッブ・C・ボールが鉄道時計の基準と査定を統一しました BALL WATCHが

鉄道時計の最初と言われているのは、ココからです。

この基準を元に、各メーカーが競うように鉄道時計を作成しました。

その中でもHAMILTONの鉄道時計は、精度と頑丈さで、多くの鉄道員から信頼され

1893年から1969年まで、51種類270万個の時計が愛用されました。

「アメリカ鉄道のタイムキーパー」と呼ばれ、まさに鉄道と共に育まれたメーカーです。

 

第二次大戦が始まると軍需品専用の生産体制に入ります、当時は時計以外の

武器部品などもつくっていました

特にマリンクロノメーターは、海軍天文台の条件をすべて満たすことが出来たのは

HAMILTOだけでした、高精度で大量生産できる、技術を持つメーカーでもあります。

 

stories_military2

 

何年か前に、復刻版が発売され話題になりました!

 

header_military_heritage

 

代表モデルは、皆さん知っているカーキ

現在も手巻きムーヴで生産は、続けています。

 

大戦後、軍用一辺倒の生産体制から、民間用への切り替えに苦戦します。

時計製造の設備も再度整える必要があり、容易には進みませんでした

その間に、市場はスイス時計が氾濫するHAMILTONには、ありがたくない事情も

重なり、苦戦していました。

HAMILTONは、女性とビジネスマンをターゲットに高級時計を宣伝展開し

HAMILTON WATCHの普及に力をいれ、アメリカ経済が復興の兆しを見せ始めると

HAMILTONも戦前の活気が戻り始めます。

ventura_right_vintage

 HAMILTONのアイコンにもなっているベンチュラ

 

1950年代は、何年も続いた大戦の緊縮後、経済の成長も著しく伸び

ていきました、若い世代を中心に、今までのアメリカ文化に反抗する

人たちが増え、カルチャーを中心に服装、音楽など

特に音楽の世界では、ロックンロールが新しい音楽のスタイルとして

生まれました、ロックンロールを代表するアーティストが

エルヴィス・プレスリーです。

彼も、映画ブルーハワイの劇中でHAMILTONのベンチュラを着用し

生涯を共にする時計として愛用していました。

 

その後、1970年代には、発光ダイオード式時計 パルサーを発表

iconic_products_pulsar

 

革新的なモデルを次々に発表していきます。

 

こちらも何年か前に再販されていました。

 

1960年代以降のHAMILTONはベトナム戦争の影響で、防衛産業部門が拡大し

経営状態は順調でした、

1966年にスイスの ヴューレン社を買収し、社名をHAMILTONーBurenとし

創業以来アメリカで時計を作り続けていましたが、買収を機に、アメリカの工場を

全て閉鎖して、スイスに時計製造を移しました。

 

1969年自動巻クロノグラフを発表します、これは皆さん知っていると思いますが

4社共同開発でした。(ホイヤー・レオニダス、ブライトリング、デュボア・デプラ

そしてハミルトンビューレンです)ムーヴメントを発表

 

1971年にビューレンの商標をビューレン社に返還し1972年に売上不振による業績悪化

でビューレン社と提携を解消し社名をHAMILTONに戻しました。

 

そして1974年に、合併会社SSIH(現スウォッチグループ)の傘下には入り現在の

HAMILTONにいたります。

 

いかかでしたか、話が長くなりましたが、調べてみるといろんな出来事があり現在の

HAMILTONがあります、現在は、スウォッチグループ傘下で、経営も安定し、規模も

毎年大きくなっています、古き良きアメリカン・ノスタルジーを漂わせるモデルも在り

新しい時代の新しい考え方で作られたモデルも在り、年代を問わず、着用し愛される

時計に変わりつつあります。

 

2018年、現代においてHAMILTONが高級スイス時計かと問われたら、NO

価格だけで見れば、国産時計でHAMILTONよりも高級な時計は沢山在ります

価格よりも、いつの時代でも愛され、使っていただけることが大事だと思います

HAMILTONはそんな時計だと感じています。

 

気になった方、是非一度お店に足を運んで、体験してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お問い合わせ

スリーク新潟

TEL:025-210-2511
MAIL:info@threec.jp

取扱店舗

スリーク新潟