ブライトリングを紡ぐ者たち~Vol.①
2021.01.10
スリーク新潟
創業:1884年
創業者:レオン・ブライトリング
レオン・ブライトリングがスイスのサン=ティミエに若干24歳で会社を創立。
懐中時計を製造しており、その事業が成功を収めた事からスイス時計製造業が盛んなラ・ショー・ド・フォンへと移転。
この移転の時点でレオン・ブライトリングは”時を表示する”よりも”計測する”事を主に考え、技術開発に励んでおりました。
レオン・ブライトリングの功績はと言うと
1905年:懐中時計にタキメーターカウンターを導入
非常に高精度だった為、それを使って当時の警察は、タイマーでスピード違反の車の時速を測り違反切符を切る事が出来たそう。
世の為になる物を開発したレオン・ブライトリングが1914年:54歳で死去。
同時に2代目に就任したのが、
1914年 2代目:ガストン・ブライトリング
レオン・ブライトリングの息子であるガストン・ブライトリングが父親の意思を受け継ぎ就任。
父親の意思=”最高の計測機器の開発”
この受け継がれた意思からガストン・ブライトリングは機能を分ける為にプッシャーを使うと言う合理的なアイデアを生み、1915年に独立したプッシャーを備えた時計が誕生。
つまり、クロノグラフ時計が発売。
これが世界初となります。
この頃はと言うと第一次世界大戦の真っ只中。
ガストンが開発したクロノグラフ腕時計は戦争でのニーズに応える形となりパイロット向けとして活躍したそう。
それから3年後。
1918年 スタート/ストップ機能とリセット機能を受け持つ独立プッシャーを開発。
そして、1927年ガストン・ブライトリングが43歳で死去。
その後受け継いだのがガストン・ブライトリングの息子であるウィリー・ブライトリング
1932年 3代目:ウィリーブライトリング
ウィリー・ブライトリングは初代から続く意思の継承から技術開発は勿論、独自に販売も学ぶこ事で機能だけでなくエレガンスも備えた物にしていきました。
それから2年後の1934年。
2つ目の独立したプッシャーを備えたクロノグラフ腕時計を開発。
現在、世界のどのブランドも作るクロノグラフはウィリー・ブライトリングのイノベーションの影響を受けインスパイアされています。
少し話が戻りますが、
1930年代始めにウィリー・ブライトリングは、自動車と飛行機のオンボードクロノグラフと言う新しいコアビジネスを開始。
1931年にコックピット機器の開発。
1938年:ユイット・アビエーション部門をラ・ショー・ド・フォンのモンブリラン通りに開設。
(”ユイット(フランス語で8)”という名は、オンボードクロノグラフの為に開発した8日間パワーリザーブの特許の名からきてます。)
『ナビタイマー』が登場。
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