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【パネライ・アベレナメント】Vol.4 ~パネライ復活プロジェクト②~

2018.09.22

スリーク新潟

こんにちは。

 

スリークの飯田です。

 

先週に引き続き、今日は何の日か?

 

今日は『国際ビーチクリーンアップデー』という日だそうです。

 

アメリカ・サンフランシスコに本部のある海洋自然保護センターが1985年から実施。

 

この日に近い週末に、世界各地で一斉に海岸のごみを拾い集め、その数量・種類等を調べることによって、海洋のゴミの発生元や、地球環境への影響を調査している。

 

と、いう事らしいのですが、個人的にはパネライと縁のありそうな日だと感じました!

 

海繋がりってことでw

 

夏も終わりましたし海岸の清掃などお手伝いするのも良いですね。

 

 

 

ただ、わたくしごとなのですが、飯田は昨日から24日まで仙台の『エスパス タグ・ホイヤー仙台』でお手伝いしております。

 

カレラのイベントやっています。昔のヴィンテージモデルを展示しちゃったりしています。

 

そして、今日の19時には小林可夢偉さんをお招きしたトークショーもありますっ!!!

 

もし、今からでも興味をある方は車を飛ばして仙台までお越しください!

 

あ、トークショー参加は電話を1本くださいね。もしかしたら満席かもしれませんので、、、⇒022-797-9371

 

今日は無理でもぜひ24日までの連休で暇な方は牛タン食べに仙台でも行くっぺかな、と思って旅行がてらお越しください^^

 

DSC_6108

ヴィンテージのホイヤーがずらっと並んでお待ちしております!

 

 

 

ま、それはさておき本題に入る前に

 

現在、スリーク新潟ではPANERAIのロゴモデルが充実の『ロゴ祭り』状態です!ぜひ3連休スリークにも足をお運びください!!

 

 

では、ブログ本編さっそくスタートです!

 

 

パネライ復活プロジェクト

~プロジェクトを動かした7人~

 

アレキサンドリア湾の奇襲作戦

 

前回、7人の中の第3の人物、元海軍特殊部隊兵のエミリオ・ビアンキ氏をご紹介しました。

 

本日はまず、その彼らが活躍した伝説に残るアレキサンドリア湾の奇襲作戦をご紹介いたします。

 

 

************アレキサンドリア湾の奇襲作戦とは*****************

 

第一次世界大戦後、イタリア海軍では特殊部隊の第1MAS小艦隊(後の第10MAS小艦隊)が編成された。

 

第1MASでは新型の潜水攻撃提SLC(別名”豚”)が開発された。

 

このSLCは水上・水中どちらでも航行が可能な低速魚雷で、船体に2人の人間が跨って操作し、船首に搭載した爆薬を外して敵艦に取り付けるというものだった。

 

これらの任務を遂行するのに、正確な時間の把握は必須で、パネライの時計はまさに部隊にとっての命綱であった。

 

第二次世界大戦がはじまると特殊部隊の活躍が始まった。

 

ジブラルタルの最後の戦いでは1940年8月から1943年9月8日の停戦日まで、およそ20回以上にわたって奇襲攻撃が遂行された。

 

なかでも最も歴史に残るのは1941年12月19日に行われたアレキサンドリア湾の作戦だった。

「アレキサンドリア湾の作戦」の画像検索結果

アレキサンドリアは↑ここです。

 

当時、アレキサンドリア湾はイギリス軍にとって地中海最大の補給港だった。

 

この港の補給機能を断つことが特殊工作部隊の目的だった。

 

作戦日の21:30、6人の特殊工作隊員は2人ずつ3艇のSLCに跨って漆黒の海底をアレクサンドリア湾に向かって出発した。

「SLC アレキサンドリア」の画像検索結果

 

しかし、湾の入口にはネットバリアが張られており、

 

英国軍の監視ボートがサーチライトを照らしながら往復していた。

 

「SLC アレキサンドリア」の画像検索結果

「SLC アレキサンドリア」の画像検索結果

 

2艇のSLCは海底のネットバリアを特殊工具で破り、湾内に潜入。

 

ペンネ大尉と部下のビアンキ潜水部隊長の乗ったSLCは、ちょうどイギリス艦が入港するために開いたバリアの隙を狙い一気に潜入に成功。

 

が、その時にアクシデントが発生!

 

後続のSLCがペンネ大尉らのSLCに衝突。

 

SLCは17mの海底に沈み、海底の金属ケーブルにスクリューまでもが絡まってしまった。

 

戦艦ヴァリアント号まで、あと15m!

 

ペンネ大尉らは自力でSLCを引きずり出そうと海底での作業が数時間続いた。

 

そして、ついにビアンキが気を失って海面へ浮上。

 

残されたペンネ大尉は一人でSLCを戦艦まで運び、爆薬のタイマーをセットした。

 

半分失神状態で浮上していったペンネ大尉は海面でイギリス軍に発見され、連行されることになる。

 

連行された2人は厳しい訊問を受けたが爆弾を仕掛けた場所については一切口を割らなかった。

 

しかし、爆発の差し迫った19日の朝6時近く、ペンネ大尉は艦長に

 

『あと数分で戦艦は爆発する。もう止めることはできない。しかし、乗組員が脱出する時間はまだある』と進言した。

 

艦長が乗組員全員を戦艦から避難させた後、ヴァリアント号に轟音が鳴り響き、その数分後にクィーン・エリザベス号とタンカーが次々と大爆発を起こした。

 

この2隻の大型戦艦はすぐに引上げ作業が行われたが、修理が完了して戦列に復帰するまで1年以上もの月日を浪費する事になった。イギリス軍は2隻の戦艦が重大な損傷を受けていないよう見せる工作を行った。だが、ドイツ軍の空中偵察により作戦の成功は知られていた。

 

このイタリア海軍の勝利は劣勢であった地中海の制海権を枢軸側に大きく傾かせ、半年間にわたって北アフリカの陸上部隊に安定した補給が行われる事になった。

 

なお、1942年1月戦況に苛立ったイギリス首相チャーチルは参謀長官宛に『イタリア海軍がアレキサンドリア湾で見せつけた手柄を真似するには我々は何をすべきか、同じ方法をとるにはどのような機器を用意すればいいのか報告されたし・・・』と手紙を書いている。

 

もちろん、参謀長官すらもその時はイタリア海軍を勝利に導いたパネライウオッチの存在を知る由もなかったはず。

 

そして、黙秘権を行使しながらも最後には英国兵の人命を救ったペンネ大尉らの行動は高く評価され、英雄伝説として語り継がれている・・・

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4.ジャンピエロ・ネグレッティ(Giampiero Negretti)

 

パンカーニ教授の調査報告を受け、パネライに関する歴史的過去を知ったコローニ氏は

 

ある一人の友人に電話を入れました。

ネグレッティ

ジャンピエロ・ネグレッティ

Giampiero Negretti

イタリアの有力新聞紙『イル・ジョルナーレ』の編集長を務める傍ら、時計業界に精通した時計専門家としても活躍。

 

その電話の友人こそがジャンピエロ・ネグレッティ氏。

 

ネグレッティ氏は時計への造詣の深さに加え、業界の裏事情にも精通した見識を持っており、

 

さらに秀逸な文章をつづる著述家ともなればイタリアでも彼の右に出る者はいませんでした。

 

コローニ氏が電話をしてきたのは1996年のクリスマスの日でした。

 

パネライという時計についての意見が聞きたいと言ってきたコローニ氏に

 

ネグレッティ氏はパネライ社を買収することを強く薦めました。

 

それには3つの理由があったと言います。

 

1つはパネライのデザインが象徴するように、独自の個性と非常に強いインパクトを持っていたこと。時計好きのイタリア人にとっても、当時は従来の時計に対するマンネリ感がありましたからね。

 

2つ目はその背景にあるストーリー性。とくにイタリア人はそれを重視する傾向がありますから。

 

そして3つ目がパネライがイタリアのメーカーだったこと。もちろんムーブメントはスイス製ですが、そのコンセプトもデザインもイタリアで生まれたもの。イタリア人はこの時計を待ち望んでいるはずだと思いましたね。』

 

さらにネグレッティ氏は続けます。

 

『コローニさんは私が話している間、何度も何度も大きく頷いていました。でも彼の腹はとっくに決まっていたんでしょうね。

 

その証拠に、膨大な資料を目の前に出して、パネライの本を書いてくれ、とその場で原稿依頼してきたくらいですから。もちろんすぐ承諾しました。

 

粋なクリスマスプレゼントだと思ってね』

 

 

 

そして、それが1997年に上梓された『パネライ 伝説の腕時計』でした。

伝説の時計

↑ネグレッティ氏の書いた本。

 

日本語訳もされており、以前はパネライをご購入された方に差し上げていました。

 

今でも私の愛読書であり、お宝本です!

 

 

 

 

5.アンジェロ・ボナーティ(Angelo Nonati)

パネライ復活プロジェクト、第5の人物が復活後のパネライを永らくCEOとして牽引してきたこの方。

「PANERAI CEO」の画像検索結果

アンジェロ・ボナーティ

Angelo Bonati

イタリア市場向けにカルティエ製品を販売するセールスマネージャーを担当していた。

 

 

ボナーティ氏は言います

 

『突然の電話でしたね。新生パネライを立ち上げるから、いっしょに冒険をしてみないかと言ってきたのです』

 

1980年以来、コローニ氏と仕事を共にしてきていた彼はその実力を買われて、1994年にはある高級ブランドへと移っていました。

 

人望の厚い人柄、やたらなことでは怯まない固い意志、そして何より時計に対する情熱を併せ持った人物。

 

コローニ氏にとって、パネライ事業の舵取りは彼しか考えられなかったのだろうと思われます。

 

ボナーティ氏もその誘いに二つ返事で承諾。

 

冒険はスタートしたのでした。。。。

 

ボナーティ氏を中心にプロジェクトは大きく動き出しました。

 

ブランドのコンセプトの確立、生産および販売、さらにマーケティングに至る戦略が練られました。

 

 

『プロジェクトがスタートした時に存在していたのはパネライにまつわる伝説的ストーリーと1本の時計だけでした。

 

しかし、それだけで充分でした。紛れもない歴史的事実は極めて大きな意味を持つものでしたからね。

 

ですから私はそのストーリー性を重視し、希少価値の高い特殊な時計として位置づけ、過酷なミッションに耐え抜いた高い信頼性を継承するためにも、クオリティを最優先させました。

 

そのため自ずと生産数量も限られ、同時に販売店も限定せざるを得なかったわけです』

 

 

 

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今日のパネライ

 

さて、本日はですね、

 

今年の6月に私が新潟に復帰した時に『えっ?!なんでこのモデルがあるの????』と驚いた時計。

 

個人的にも凄く好きだし、欲しい時計。

 

でも、もう存在しないと思っていたモデルです。

ルミノール コンポジット 1950 3デイズ

PAM00375

47㎜

100M防水

1,479,600円(税込)

世界限定2000本

 

 

ケースにハイテク素材パネライコンポジットを採用。

 

パネライ独自の革新的な素材で、アルミニウムに表面の加工を施すことでアルミニウムが変質し、硬いセラミックの層が作られます。

 

つまり、軽くて硬いケースで凄く便利!!ってことですね。

 

個人的に一番グッとくるポイント

 

9時位置の秒針(スモールセコンド)!!

 

パネライ通な方はご存知かもしれませんが、イタリア海軍の為に作られていた時の

 

オリジナルには9時位置に秒針があってもインデックスのアラビア数字の『9』は存在していたんですっっ!!

 

それなのに、2008年以降世界デビューしてからは

 

9時位置に秒針を設ける場合はアラビア数字の『9』が省かれていたんですよね。

 

そして、時たま出る限定品には『9』を設けたりするもんだから

 

パネライファンには『9』と『スモセコ』が存在するモデルがたまらなくなるんです!

 

 

ムーブメントも手巻きで3日間のパワーリザーブがあるP.3000を搭載。

 

47㎜のケースサイズというのは海軍が使用していたオリジナルと同じ大きさで、そこも好きですし

 

このP.3000はこのケースサイズの合わせて作られたようなムーブメントなんです。

 

このなんて言うんですか?このモデルはですね、

 

デザインやでティールは昔のモデルをかなり忠実に再現した復刻モデルなのですが

 

素材が最新という・・・

 

そこがまた堪らないんです!

 

パネライって元々が軍用時計じゃないですか。

 

もし、現在の軍が要請してきたら素材もコレを使うんじゃないか?って思えちゃうんですよね。

 

軽くて丈夫だし。

 

あと、ケースがマットな黒というのも軍用としては最適だと思いますし。

 

そんな妄想をすると楽しくなってくるモデルです!

 

 

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過去記事

PANERAI avvelenamento Vol.1~パネライの歴史①~

PANERAI avvelenamento Vol.2~パネライの歴史②~

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