【サントス物語】Vol.1
2019.04.24
スリーク新潟
こんにちは。
スリーク新潟の飯田デス。
ついに大型10連休のGWがやっていまいりますね。
スリーク新潟では【カルティエ ウオッチ コレクション2019】が開催されます!
色々なモデルが多数揃いますが、今年の注目モデルは去年に引き続き『サントス』です!!
と、いう事でサントスにまつわるお話をしていきたいと思います。
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アルベルト・サントス=デュモン
カルティエの時計コレクションの中で人気の高いシリーズの1つが『サントス』。
昨年は『サントスドゥカルティエ』が発表され、今年は『サントス・デュモン』が発表されました。
この人気のシリーズを語る上で、まずはモデルのネーミングの由来ともなった人物『アルベルト・サントス=デュモン』について語らねばならないだろうと思います。
アルベルト・サントス=デュモン
生誕1873年7月20日
死没1932年7月23日
ブラジル出身の発明家、飛行家。
ヨーロッパの航空のパイオニア。ヨーロッパ初の飛行機製作者であり、ブラジルでは飛行機の父、飛行機王と呼ばれている。
サントスはブラジルの裕福な農園主の末っ子として生まれました。
広々としたコーヒー農園で、小さい頃から凧揚げをしたり、雲や鳥を眺めたり空に憧れていました。
思春期になると、コーヒーを運ぶための蒸気機関車の運転や整備を手伝うようになり、機械に関する知識を身に着けていきます。
しかし、父が仕事中に落馬し、骨盤を骨折して農園経営が不可能になったため、家族で祖先の国であるフランスに渡ったのです。
子供の頃から機械のしくみに強い関心のあったサントスは、いつしか「空を飛ぶ」ことに魅了され、1897年、24歳の時に人から借りた気球で初めて空を飛びました。
翌1898年には「ブラジル」という名前の一人乗りの気球を自ら製造して空を飛びました。
当時の気球は操作性と推進力に問題があった為、やがて操縦可能な飛行船へとサントスの関心は移っていきました。
その後、操縦機能を有する「飛行船」を開発し、これを「1号機」と名付けました。
▲1号機
「1号機」は横に長い葉巻型をしていました。
その翌年には、「2号機」、安定的な着陸ができるように改良を加えた「3号機」を製造し、世間の注目を浴びました。
1901年には半硬式の飛行船6号機で、制限時間内にエッフェル塔の周りをまわる飛行にかけられたドゥーチ賞を獲得します。
1902年、サントスが29歳の時にモナコの王子アルベルト1世はサントスの挑戦を支援するため航空格納庫を彼に寄付しました。
▲6号機
多くの人々の支援を受けてサントスは飛行機の改良を続けます。「11号機」には2つのモーターと翼のついたモデルを開発しました。
ちなみに同じ年、米国に旅行した際には、トーマス・エジソンと時の大統領ルーズベルトにも会っています。
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空に魅了された男、アルベルト・サントス=デュモン。
明日は彼が飛行機で大空を飛ぶお話となります。
(小出しですみません、、、、)
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今年の新作モデルなどカルティエの世界観をお楽しみいただける特別な期間となっております。
また、素敵なおもてなしのご用意もしておりますのでぜひこの機会に古町6スリーク新潟へご来店くださいませ。
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