【サントス物語】Vol.2
2019.04.25
スリーク新潟
こんにちは。
スリーク新潟の飯田デス。
ついに大型10連休のGWがやっていまいりますね。
スリーク新潟では【カルティエ ウオッチ コレクション2019】が開催されます!
色々なモデルが多数揃いますが、今年の注目モデルは去年に引き続き『サントス』です!!
と、いう事でサントスにまつわるお話をしていきたいと思います。
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飛行機で初飛行
前回お話ししたように、サントスは飛行船や航空機の開発に熱中し、様々な飛行記録をつくっていきます。
アメリカのライト兄弟が世界初の飛行に成功したのが1903年12月17日。
▲ライトフライヤー号(ライト兄弟)
そこから3年後の1906年10月22日にエンテ型の動力機「14号機(改)」の公開実験でサントスは高さ3m、距離約60mの飛行に成功しました。
その後、11月12日には高さ6m、距離220mを飛行し、100m以上の飛行にかけられていたアルシュデック賞(アルクデアコン賞)を獲得します。
これはヨーロッパにおける最初の飛行機の飛行でありました。
なおサントスは、この成功において賞金を慈善活動に供したのみだけでなく機体の特許を取らず、
むしろ逆に誰にでも飛行原理を理解出来るよう設計図を公開しています。
▲14号機(改)
特許をとらなかったなんて素敵です。
この夢の乗り物を、空を、多くの人達に体感してもらいたいと願っていたんでしょうね。
↓こちらでサントスの作ってきた飛行機の変遷が見れます。
http://infograficos.estadao.com.br/especiais/a-redescoberta-de-santos-dumont/invencoes.php
▲愛機に乗るサントス(1907年3月 15号機)
その後、サントスは1910年頃から病気を患い、飛行機の世界を引退します。
1914年、ドイツがフランスに侵入し、第一次世界大戦が勃発します。
その第一次世界大戦では飛行機が戦争に利用されるようになります。
平和主義者であった彼は、「世界を不幸にする発明をしてしまった」と憂いました。
失意のもと、平和の国と信じてブラジルに帰るも、そのブラジルでも内戦鎮圧に飛行機が使用されました。
サントスは著名人の署名を集めて、飛行機を戦争に使用しない提言をしましたが大統領や国会はこれを黙殺。
これに絶望し、ホテルでネクタイによる首吊り自殺で命を絶ったのです。
ちなみに戦争で飛行機が使われたのが第一次世界大戦が初めてと言われています。
戦争に飛行機が使われたくらいで自殺するなんて、、、現代の人達には想像がしがたいように思えます。
でも、きっと当時の飛行機は『夢の乗り物』だったのだと思います。
その開発に人生と情熱を捧げてきたサントスにとっては紛れもなく可愛らしい子供のような存在でもあったはずです。
当時のサントスの心中を察するととても悲しい気持ちになります。。。。。
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短い人生をこうして終えてしまったアルベルト・サントス=デュモン。
彼の名前がどうして時計に付けられたのか?
次回はそんなお話となります。
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今年の新作モデルなどカルティエの世界観をお楽しみいただける特別な期間となっております。
また、素敵なおもてなしのご用意もしておりますのでぜひこの機会に古町6スリーク新潟へご来店くださいませ。
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