スリークはウブロ、カルティエ、タグホイヤー、ブライトリング、パネライ、オメガ、グランドセイコーをはじめとした高級時計やメガネなどの正規販売店です。

ついに待ち望んでいた、あの時計が復刻されました!

2020.03.27

スリーク新潟

※※2020/5/29追記※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

予約販売開始しました!

 

 

 

h52414130

HAMILTON PSR

H52414130 ¥99,000.- 

 

web-button

 

 

h52424130_ret

 

HAMILTON PSR

H52424130 ¥132,000.-

 

web-button

 

 

商品の詳細についてはこちら→予約受付開始!ハミルトン PSR ステンレススチールモデル、まもなく発売!!

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

HAMILTONから、ついにマニアが待ち望んでいたあのモデルが復刻!!

 

 

 

HAMILTON PSR(ハミルトン PSR)

 

HAMILTONマニアならずも、時計ファンなら知っているはず!

 

1970年に発表した世界初LED式デジタルウォッチ、通称「デジタルウォッチの原点」とも言われている時計、それがハミルトン パルサーです。

ハミルトン パルサーといっても初代モデル(P1)後継機(P2)カリュキュレータ付きなど、デザインは沢山あります。

そこで、今回はハミルトン パルサーの歴史に触れていこうと思います。

 

1970年5月、アメリカの人気番組「The Tonight Show」でHAMILTONの新しい時計を紹介することになっていました。

それがハミルトン パルサーが人々の目に触れた最初の瞬間です。

当時「The Tonight Show」の司会を務めていたジョニーカーソンは、あまりこの時計が気に入らなかったようで「これじゃミッキーマウスの時計にも勝てないよ」と言って、ゴールドのパルサーを投げ捨ててしまったそうです。

 

しかし、1972年に発売するとLED式のパルサーは、一大ブームを巻き起こします。

当初発売されたモデルは、(P1)400本のみで、しかもゴールドケース、価格も2,100ドルとかなり高価なものでした。

 

43652396035_57a1b70858_b

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1972年当時1ドル300円の時代。日本の大卒の初任給が¥52,700だったのでかなり高価だったことがわかります。

 

しかしその希少性の高さや革新的なデザインは、アメリカの著名人やセレブの間で話題となり、ハミルトン パルサーは瞬く間に完売しました。

当時、ティファニー、ニューマン・マーカス(セレブ御用達の高級デパート)などの限られた高級店のみの販売でしたが、なんと3日と経たずに売りきれてしまったそうです。ティファニーでハミルトン パルサーを購入した方が、店を出るまでの間に2回も「その時計を買い取りたい」と言われたという逸話まであるほどです。

 

顧客の中には、エルビス・プレスリー、サミー・デイヴィス、フォード大統領、3代目007のロジャー・ムーアなど多くの著名人が購入していたそうです。

 

 

 

hamilton-psr-p1hamilton-psr-p2

 

 

その後、オリジナルのゴールドに替わり、金張りのモデル1275ドル(382,500円)、ステンレススチールモデルを275ドル(82,500円)を発売。こちらも生産が追いつかないほどの人気商品となりました。

 

パルサー(P2)の顧客には、ローリングストーンズのミックジャガー エルトン・ジョンなどの著名人も多く、セレブの顧客も多かったそうです。

 

1972年の後半になると、HAMILTONは、ハミルトン パルサーを時計部門から切り離し、タイムコンピューターという子会社を作り需要にこたえようと生産量を増やしていきました。

 

1974年に入ると、電子機器を扱うメーカーがLED・LCDの時計を生産するようになりました。それと同時にデジタル部品を他社から買い、デジタルウォッチの生産を開始する企業も増加しました。

これは従来の機械式時計と違い、時計作りのノウハウや職人、工作機械なども要らないため、容易に時計の生産ができるようになった事が背景にあります。

 

同じく1974年、ハミルトン パルサーの人気は衰えず売上は2倍に増加しました。これを機にパルサーとハミルトンの親会社の*HMWインダストリーズはLEDウォッチに賭ける決断をし、従来の時計部門であるハミルトンウォッチをスイスの*SSIHに売却しました。

 

*HMWインダストリーズ

   1960年代以降のハミルトンは、ベトナム戦争の影響で防衛産業部門が拡大の一途をたどる。

   経営状態は大変順調で、スイスのビューレン・ウォッチ・カンパニーを買収し時計製造部門をスイスに移行させるまでになった。

   1969年にはランカスター工場でのムーブメント製造が中止され、鉄道時計も同時期に姿を消している。

   スイスでの生産が主になったためだ。その後まもなく軍用を中心とする精密機器を製造する会社へと姿を変え、社名もHMWインダストリーに変更されている。

 

*SSIH

  1930年にオメガを中心とし、スイス銀行協会が参加して結成(現在のスウォッチグループ)

 

1975年、ハミルトン パルサーの人気は衰えずうなぎのぼりで年間15万台の時計を販売していました。このままアメリカに時計作りがもう一度戻ってくるように思われましたが、、、

 

デジタルウォッチの終わりは、突然迎えます。

 

参入するメーカーが増加したため過剰供給になり、1977年にはデジタルウォッチの終焉となりました。

 

各メーカーが新モデルを発表するたびに価格は下がり、ついには値段が100ドルにまで落ちてしまいました。

価格崩壊の大きな原因は、1976年にテキサス・インスツルメンツという会社が、価格を19.95ドル(5640円)で販売し、翌年には9.25ドル(2,220円)まで価格を下げてしまった事が考えられます。

 

こうして高級デジタルウォッチの市場は消滅し、大量生産、大量販売の低価格のデジタルウォッチ市場に変わり、同時にパルサーの販売も劇的に落ち込みました。

1978年にはパルサーの名前をセイコーに売却し、HAMILTONの世界初のLEDウォッチHAMILTON PULSARは終わりを迎えました。

 

 

 

しかし、1997年 映画「メン イン ブラック」の劇中でハミルトン パルサーが復活!!

トミー・リー・ジョーンズが着用していました。

 

市販されたのは、18年後の2015年に、ハミルトン パルサー誕生から40周年記念モデルとして復活。”パルサー”の名前は使えないため、パルソマティックと変わりました。

 

H52515139_PR_1_mid_1

 

クオーツなんですが、自動巻き機構で充電しLCD液晶で発光し、パワーリザーブも脅威の120時間パワーリザーブ!!

※このモデルは、既に廃盤となっております。

 

 

そして2020年、HAMILTONファン待望の復刻です。

 

psr_soldier_gold

 

 

ゴールドは世界1970本限定。PVDなので、金無垢のハミルトン パルサーと違い価格は抑えられています。

 

 

H52414130

 

シルバーモデルは、通常の商品です。

 

今回のモデルはLEDでもLCDでもなく、有機ELハイブリッドディスプレイを取り入れ、名前も「PSR」と変更しています。

 

6月が販売予定となっておりますが、日本の割り当て分が決定しておらず、スリーク新潟の入荷本数も未定となっております。

 

また入荷しましたら、ブログにてご報告させていただきます。

 

 

 

***********************************************************

ma

TEL:025-210-2511

MAIL:info@threec.jp

お問い合わせは【コチラ】からも。

***************************************************

IMG_0230

無料駐車場もご用意しております。お気軽にご利用くださいませ。

***************************************************

【スリーク新潟】では公式LINEを始めました。

ぜひ友だち追加お願い致します。

  

友だち追加

********************************************

 

お問い合わせ

スリーク新潟

TEL:025-210-2511
MAIL:info@threec.jp

取扱店舗

スリーク新潟