【パネライ・アベレナメント】Vol.1 ~パネライの歴史~
2018.08.25
スリーク新潟
こんにちは。
スリークの飯田です。
もうすぐ9月ですね。
夏がもうすぐ終わるって感じがして少し寂しい気分になります。
子供の頃って夏はもっと永く感じませんでした?
歳をとるにつれて夏もあっという間に過ぎていきます。
結局、今年も夏らしいことは特に何もせずに過ぎていく、そんな寂しさを感じつつ、今日のブログを更新したいと思います。。
ちなみに本日8月25日は『即席ラーメンの日』。
1958年のこの日、日清食品が世界初の即席ラーメン「チキンラーメン」を発売したとのことです。
凄いですね~。
今年で丸っと60年ですよ!!
職業柄どうしても頭の中で時計と結びつけてしまいがちですが、スピードマスターやスーパーオーシャン、ベンチュラなどなどの銘作たちが誕生した時代とほぼ一緒。
歴史を感じます・・・・
さて、そんな歴史の想いを馳せたところで本題へいきます。。。
①パネライとは?
さて、パネライですが
皆さんパネライって聞くとどんなイメージを持ちますか?
『イタリア海軍の特殊部隊』?
『でかい時計』?
『リューズガードが特徴』?
人それぞれ印象が違うのかも知れませんね。
パネライって、本当に魅力的な歴史を持ったブランドだと思うんですよね。
この魅力を多くの人にわかって欲しい!と思う反面、
コアなファンだけの秘密にしておきたい!!という思いもあります(笑)
ブランドの歴史的な背景や
製品作りに対する価値観や姿勢
商品のクオリティ
など、深く知れば知るほど、パネライの魅力は非常に奥が深いのです。
(↑こんな人たちが着けていた時計です)
パネライの時計は見た目が同じようなデザインが多いので
パッと見ただけだとどのモデルも同じよう時計にしか見えないと思います。
でも見た目だけではそのパネライの奥深さは理解できないと思います。
実際にパネライを持っている方でも、デザイン性だけで選んでその後パネライの奥を探求しないと1本で満足してしまいます。
しかし、探求してしまうと・・・・
もう色々とパネライを追い求めてしまうんですよねぇ・・・・
ちなみにデザイン的なことを言うと
基本的なデザインは
『ラジオミール』
『ルミノール』
の2型に分類されます。
見分ける方法の一番簡単なのがリューズガードがあるか、ないか・・・
現在のコレクションはそれを少し細分化して
このようになっています。
ラジオミールの2種類は
◆ラジオミール:30年代に作られていたワイヤーループのラグ
◆ラジオミール1940:40年代に作られたラグが太くなったタイプのもの
で分かれます。リューズも違いがあります。
ルミノールの3種類は
◆ルミノール1950:50年代に作られたモデルと同じようなケース形状
◆ルミノール:90年代に民生用に作られたケース形状
◆ルミノールドゥエ:1950を薄くしたケース形状
といった違いがあります。ルミノールの違いは斜めや横から見ると明らかに違いがわかります。
逆に言うと正面からでは違いが分かりづらいです。
(↑ヴィンテージのパネライたち)
パネライの時計は何十年たっても
誰が見ても『パネライ』とわかるデザインになっているのが素晴らしいと感じます。
色々な他のブランドを見ても基本的なシリーズが2型だけというのはないですよね。
また、印象がだいぶ変わるような大幅なモデルチェンジをすることもありますし。。。。
そう考えると凄いなぁと思うわけです。
②パネライの歴史
ではパネライの現在に至るまでの経緯を歴史を追ってご紹介したいと思います。
パネライは創業1860年。
1860年というと時計ブランドで言えばTAGHeuerと一緒です。
皆さんの知っているブランドBREITLINGは1884年、IWCは1868年、ZENITHは1865年が創業。
そう聞くと凄く老舗のように聞こえますよね。
でもパネライが時計を作り始めたのは1936年からなのです。
じゃあそれまでの70年間は何をやっていたのかと言うと、パネライは元々はイタリアの時計店だったのです。
(↑当時のお店)
そして時計の販売だけでなく修理を行う工房も兼ね備えていた同店はイタリア初の時計学校も兼ね備えていました。
時計の修理などの技術的な分野でも長けていたパネライは
やがてイタリア海軍に照準器などの精密機器を納入するようになりました。
(↑イタリア海軍に納入していたコンパス)
そして、海軍の更なる要望に応える為
パネライは新たな夜光塗料を開発しました。
ラジウムをベースとしたその夜光塗料は『ラジオミール』と名づけられ、特許を取得しました。
現在のモデル名となっている『ラジオミール』は元々は夜光塗料の名前だったんですね。
(↑1936年製 プロトタイプ)
そして1936年、ついにパネライはイタリア海軍から時計の製作を依頼されるのです。
上の写真が1936年当初のプロトタイプです。
当時は時計を作る技術がなかったパネライ。
取引先であるロレックスと契約を結びパネライが求めるケースやムーブメントを作らせました。
ロレックスが他社のためにこのように時計を作ってたというのも驚きですが、
それだけパネライがロレックスに対して影響力のある存在だったのだと思います。
③イタリア海軍が選んだワケ
なぜ、イタリア海軍がパネライに時計製作を依頼したかと言うと、
これはもう有名な話ですが
イタリアは海に囲まれており、当時、敵国のイギリスなどは海から攻めてきます。
そこでイタリア自国の国防の為に海軍に特殊部隊を設けました。
ブラックシール(黒アザラシ)と名づけられたその特殊部隊は、敵艦隊に対して奇襲攻撃をする部隊でした。
どのような奇襲攻撃かといいますと
真夜中、水深10mの深さをSLC(低速魚雷艇)にまたがり相手の艦隊の船底まで進んでいくのです。
(↑SLC)
SLCは先っぽが爆弾になっており、敵艦の魚雷ネット(魚雷を防ぐ網状のネット)を切りながら進み、相手の船に先端の爆弾をセットしてくるのです。
このような特殊任務を遂行するにあたって、部隊で共通した時間認識が必要です。
しかも!
真っ暗闇(真夜中の水深10mの世界)でもはっきりと時間を読み取れる時計が必要だったのです。
そんな時、白羽の矢がたったのが夜光塗料の特許をとっていたパネライだったのです。
そして1936年の試作品から2年後の1938年に
文字盤のデザインなど改良を加え、実戦投与された時計が誕生したのです。
(↑1938年 実戦に使わられた初期の時計)
この時に文字盤が二重構造となった、いわゆる『サンドイッチ文字盤』が採用されました。
現在も受け継がれているパネライの伝統的なディテールのこのサンドイッチ文字盤はなぜに採用されたのでしょうか。
それは夜光塗料が劣化したら下板の夜光を塗りなおして何度でも使いまわしができるように考えられたからです。
軍事用品であったパネライの時計は、いわゆる“道具”でした。
コストをかけず何度も使いまわしできる方がよいのです。
また、強力な発光をさせる為に厚く塗料を塗る必要がありました。しかし、厚くぬると1枚板だと数字が崩れてしまいます。
そこでサンドイッチにしたら問題が解決できるというような理由もありました。
④パネライウオッチの変遷
さて、さて、1938年にイタリア海軍に実践投与されたパネライですが
その後、軍用であるからこそ、実用性を求めて徐々に改良されていくわけです。
(↑1940年代製)
1940年代にはワイヤーループだったラグの部分が改良され太く安定感のあるものへと変わりました。
現行モデルでいう『ラジオミール1940』がこのころのデザインを踏襲しています。
そして1949年には新しい蛍光塗料を開発。
ラジオミールがラジウムをベースに作られていましたが
今回はトリチウムをベースにつくられた『ルミノール』というもでした。
はい、そうです。このネーミングも現在のモデル名になっています。
(↑1950年代製)
1950年代になるとリューズガードを備えたモデルが誕生。
このデザインが現在のパネライの人気モデル、ルミノールへと続くのです。
この50年代のケース形状を模しているのが現行モデルの『ルミノール1950』というものです。
ラジオミールから発展してきた背景が感じ取ることができるケース形状です。
で!
ここでふと思うのが
よくよく考えてみると、このリューズガードが付いたモデルって第二次世界大戦後に誕生したんですよね。
イタリア海軍の特殊部隊が活躍したのが第二次大戦なので、そのころ使われたのはこのルミノール系のモデルではない、というのが少し残念な気がするのは私だけでしょうか?
逆に言ったら、第二次大戦後も甘んじることなく技術的な改良を推し進めてきたところがすばらしいとも思います。
そのようにイタリア海軍の為に時計やらコンパスや水深計などを作ってきたパネライですが平和な時代の到来と共にイタリアの軍備縮小がされるようになってきました。
そのあおりを受けて、パネライもついに民生用に時計を作ることになりました。。。。
(↑1993年民生用に作られた時計)
1993年から民生用に販売を始めたパネライ。
しかし、それまでの60年間は軍事機密だった時計なので誰も知らないような時計。
ごく一部のマニアが買い求めていたような状態でした。
その頃、パネライの絶大なファンとなったのが映画俳優のシルベスター・スタローンでした。
スタローンは自身の映画で着用をしたり、自分のニックネームがついた限定モデルなどを出したりしました。
それがヴァンドーム(現リシュモン)グループのお偉いさんの目にとまり、
1997年にヴァンドームの傘下に入りました。
(↑1998年製)
そして1998年のジュネーブサロンで鮮烈な世界デビューを果たしたのです。
そうです。
パネライが世界的にデビューし、一般の人達に広く認知されるようになって
今年で20年なんです!
もう20年な気もしますが、ブランドとしたら、まだ20年・・・・
1998年と言ったら、僕が時計の販売に携わり始めた年。
時計雑誌を見まくって色々と情報を吸収しまくってた時期でした。
そんな時期のことだから、あの頃の雑誌でパネライが紙面を賑わせていたのが今でも記憶にございます。
雑誌に書かれているパネライ伝説を読みあさって自分もいつか欲しいなぁと思っていたものです。
パネライの鮮烈な世界デビューは一瞬にして時計業界に大きなインパクトを与えましたよね。
当時は時計のケースサイズが40mmでゴツイ時計というイメージでしたが
パネライが世に出たおかげで44mmが標準サイズのようになりました。
この20年で何度か40mm以下薄型シンプルウオッチの人気復活がささやかれました。
確かに人気は出たりしましたが、やはりデカ厚時計の安定ぶりは健在で、改めてパネライの凄さを実感します。
それにデビューして20年の間こうして安定した人気であり続けるのも凄いと思います。
何十年と市場で安定した人気のある歴史あるブランドならば15年の安定感も不思議ではないですが
パネライはブランドの歴史は古くても、世界的にデビューした年月は浅いわけで、
しかも人気が出た一番の理由はあのデザインだと思います。
デザインに火がつき、爆発的に人気が出て、消えていった(消えそうな)ブランドやモデルは色々と見てきました。
それがパネライの場合、一過性の人気で終わらなかったのは
・歴史背景
・プロダクト
この2つがしっかりしていたからだと思います。
歴史に関しては今まで書いてきたような伝説的な人々を魅了する物語があり、
プロダクトに関しては早くから自社開発のムーブメントを発表しており、そのクオリティの高さは時計通をも納得させるものでした。
そして、私が何よりも凄いと思うのは最近までCEOを務めていたアンジェロ・ボナーティーの手腕ですね。
長期的なスパンでものを見る戦略が凄いです。
パネライのデザインを昔のアーカイブに則り、そこからぶれずにコレクションを展開してきたのも素晴らしいと思います。
リシュモン傘下に入る前に存在したモデルを元にしたモデルしかコレクションを出しておらず、まったく新しい発想のモデルというものを出していません。これってなかなか出来ることじゃないと思うんですよね。
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さて、そんなパネライですが
今日はパネライのことを語るのはこのくらいにしておきます。
ぜひ、パネライに興味ある方はもちろん、
興味のない方もコチラをご覧になってみてください。
面白いですよっ!!
フィレンツェ時計物語。
パネライの魅力が存分に語られています。
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